長和町立和田小学校の5年生が来館しました。
2019年8月27日
今日は、午前中・・・長和町立和田小学校の5年生の皆さんが、塩田平やため池の歴史についての勉強の為、とっこ館に来館し、館長(西澤むめ子)から、一時間ほど話を聞き、ビデオ観賞、舌喰池の見学をしました。
児童の皆さんは、館長の何か質問はありますか?の問いに、積極的に色々な質問が次々と出ましたが、その中で「舌喰池は、舌を喰う池・・・舌を食べるって、どうしてそんな名前が付いたんですか?」という質問が出ました。
舌を食べる・・・喰うなんて信じられない事で、誰でも疑問に持ちますね?
少し、舌喰池の名前の由来のお話を紹介しましょう。
【塩田平は、塩田三万石といわれた上田藩は、上田・小県地方きっての米どころでしたが、この塩田平は我が国でも稀に見る雨の少ないところですので、水田に必要な用水は、沢山の水を貯める池を作って賄っていました。
昔は塩田平には大小200もの池があったそうです。 その中で手塚に初めは"大池"と呼ばれる池があり、江戸時代に三度も大きな改修工事があったということです。
この池が新築された時に土手から水が漏れて十分に水を貯める事が出来なかったので、池の大改修をすることになりましたが、中々旨く行かずそんな中で、池の土手に人柱をいれなければ水が貯まらないという話が何処からともなく伝わってきました。
"人柱"と云うのは、生きた人を土地の中に入れて祈ることです。そんな辛い悲しい事をしなくてはいけない事に皆心を痛めましたが、水を貯めるためには人柱になる人を選ばなければいかず、くじ引きで決める事となり、選ばれたのは村はずれの娘でした。
このことを告げられた娘は、日夜悲しみに明けくれていましたが、"人柱"に立つという前の晩に身の不運を嘆いて、舌を食い切り、池に身を投げて死んでしまいました。
この悲しい出来ごとがあってから、村人たちはその娘さんにお詫びをしながら水を使わせてもらっているのだそうです。】